自由悠遊

サイクリング・ハイキング・旅先・散歩先で撮った、風景・名所旧跡・動植物

大洲城とレトロな町並み

つづき

各駅停車のJRに乗って、波止浜駅から3時間強で伊予大洲駅に到着。
駅から2km弱歩いて、日本百名城の大洲城の前へ。

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白い雲の浮かぶ青い空が広がり、旅行中ずっと良い天気に恵まれた^o^

左手の坂を上がっていくと。

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天守は明治時代に取り壊され、平成になって復元されましたが、となりの高欄櫓は地震で大破後、1860年に再建されたもので、国重文に指定されてる。

真ん中に天守、向かって右に台所櫓、左に高欄櫓を入れて。

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台所櫓も地震で大破後、1859年に再建され、やはり国重文に指定されてる。

大洲は大洲城を中心に栄えた城下町で、風情ある古い町並みが残る。

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おはなはん通りの一角、ここは東京ラブストーリーのロケ地になった所で、リカとカンチが子ども時代の思い出話をしながら歩くシーンが撮影された。
ちょうど世代なので、東京ラブストーリーのロケ地と知ってテンション上がったけど、若い人は知らないかも^^;

カンチが買ってきたジュースをリカが受け取った場所。

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リカがカンチに気づかれないよう、そっとカンチのマンション宛に別れの手紙を投函したポストが、ここの赤いポスト!

昭和30年代を再現したポコペン横丁に立ち寄る。

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幼少期に見たことあるような看板も、見たことない(たぶん私が生まれる前の時代の)看板も、レトロづくし。

大洲は見どころ豊富なわりに人が少なく、静かに散策を楽しめた♪

今治城から来島海峡までランニング観光

つづき

宿泊した松山市駅前のカプセルホテル、1泊2600円の部屋公開。

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2人部屋で、上段のカプセルに2泊した。
施錠できるロッカーが1人1個ずつ使えて、カプセルの中はテレビと充電できるコンセントがあり、ベッドメイク・掃除とタオル類・歯ブラシ・寝巻の交換が毎日されて、寝る所がカプセルなこと以外、通常のビジネスホテルと変わらない雰囲気^^

愛媛旅行2日目は松山を出て、北は今治まで・南は大洲まで遠征した。
松山駅から始発のJRに乗って、1時間20分後に今治駅で下車し、東へ2kmほど歩いて、朝焼けの今治城へ。

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今治城は瀬戸内海の海岸に築かれた平城で、お堀の水は海水!
日本百名城にも日本三大水城にも選ばれてる。

ぐるりと回って、入口側から。

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これから数km先のしまなみ海道の見える所まで行きたく、そのあと特急を使わずに大洲まで電車移動するには、さらに先の波止浜駅から3時間強の乗車時間を要し、時刻表と照らし合わせて逆算すると、今治にいられる時間も約3時間、その制限時間内に約10km走って観光せねばw

タイトルの「ランニング観光」は、観光先でランニングを楽しもうというコンセプトではなく、時間もお金もないから走るしかないの意^▽^;

立ち寄りポイント1:南光坊

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四国八十八ヶ所第55番札所、山門の奥にチラッと見えるのが本堂。
大三島に鎮座する大山祇神社の一坊として、594年に建立された。

立ち寄りポイント2:別宮大山祇神社

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南光坊のとなりに建つ、名前の通り大山祇神社の別宮、写真は拝殿。
明治時代の神仏分離令によって、南光坊から分離された。

しばらく国道沿いを走った後、今治病院前から海のほうに出て、海岸沿いの道路を走り、砂浜に下りて来島海峡をのぞむ。

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左の島は馬島で、左端奥にうっすら見えるのが来島で、右端に切れて写ってるのは大島でしょうか、しまなみ海道も見える♪

再び道路に戻り、ひたすら海岸線を走っていくと、しまなみ海道が近づいてきた。

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イムリミットまでの残り時間が減りゆく中、まっすぐ行って橋の下をくぐれば、波止浜の大きな通りに出られるはずだけど、自信がなくなってくる。
このあたりは人通りもコンビニもなく、道を聞ける人はいない。

とそんな時、車椅子ごと乗れる福祉車両が停まっており、高齢者を乗せ終えたスタッフさん発見。
お仕事中すみませんと言いながら、波止浜駅への行き方を聞いたら、やはり道なりにまっすぐ行くと、やがて県道に出るらしい。

丁寧に教えていただき、お礼を言って走り去ろうとしたら、「エッ、歩いて行かれるんですか?遠いですよ@o@」と言われ、なんとなんと、おばあちゃん達が乗ってる福祉車両の空席に乗せていただき、波止浜駅まで送ってくださいました!!

結果的に10km走ることなく、まさかの福祉車両で来島海峡から波止浜駅までワープ。
めっちゃ親切にしていただき、本当に感謝感激ですm(_ _)m

つづく

もりだくさんでおもしろすぎた石手寺

つづき

松山城から東に歩いて、道後温泉を通過して、四国八十八ヶ所第51番札所の石手寺へ。

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728年に聖武天皇の勅願によって創建、翌年に行基によって開眼、813年に弘法大師によって真言宗に改宗された古刹。
四国八十八ヶ所の中でも大規模な寺院で、多数の文化財を有する。

回廊を歩いた先に、立派な仁王門。

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1318年築、国宝に指定されてる。

仁王門をくぐると、正面に本堂と五鈷(上)、右手に三重塔(下)が建つ。

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本堂と三重塔は鎌倉時代末期築、ともに国重文に指定されてる。

三重塔の右奥から本堂まで、逆L字型にいろんなお堂が建ち並び(上)、突き当たりを左へ行くと、本堂の右となりに絵馬堂(下)。

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ふすま絵と天井から吊り下がる装飾が華やか。

本堂の左となりには、なんと洞窟入口。

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洞窟の中は入らなかったけど、有料で探検(?)できるらしい。
入口前の仏像達が異国的でおもしろい^▽^

その向かいにも。

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仏像も木彫りのお顔も、まるで外国の民芸品のよう。

ものすごく由緒ある寺院ながら、B級テーマパークっぽい雰囲気というか、パラダイス臭がするというかw、珍スポット的なおもしろさ満載!
国宝・重文から変わったものまで、新旧混在もりだくさんでカオス感がたまらない、楽しげなお寺さんだった♪

このあと道後温泉と商店街を散策し、夜になってカプセルホテルにチェックイン。
松山市駅前の便利な所に立地するカプセルホテルで、1泊2600円×2泊した。

つづく

松山城ハイキング

一昨年の梅咲く頃、LCCのセールで関空~松山が片道1990円になってまして。
自宅から関空までの電車賃が片道1000円以上かかるので、実質的には片道3000円超ですが、それでも安いので、これは行くしかない!と無理やり休み作って行ったのだった^^

松山空港に到着後、リムジンバスで市街地に出て、まずは日本百名城の松山城へ。

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手前の石垣の上は二之丸史跡庭園、奥の標高132mの山上に現存天守が見える。

黒門口登城道から登っていくと、史跡庭園を過ぎたあたりでいったん石垣が途切れ、整備の行き届いた山道になり、その山道を登ると再び石垣が現れて、ほかの登城道と合流する。

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雲ひとつない青空に、櫓も石垣も映える♪

左に戸無門、右に隠門と隠門続櫓、いずれも国重文。

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左奥の櫓は太鼓櫓。

隠門と太鼓門をくぐり、本丸をしばらく行くと、ついに現存天守キター。

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遠近法で大きく見える左端の建物は小天守で、真ん中奥が大天守、その手前(石垣の上につながってる部分)は左から一ノ門南櫓・一ノ門東塀・二ノ門南櫓、すべて国重文。

天守と小天守の2ショット@手前に梅の花を入れて。

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梅の紅・空の青・天守の白、色彩のコントラストがめっちゃ鮮やか☆〃

別の角度から。

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真正面が大天守で、左の小天守の下の門は、これまた国重文の紫竹門。

北西の眺め。

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松山の市街地の奥に、島々の浮かぶ美しい海が見える。

東南東の眺め。

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奥に見える冠雪した山は、西日本最高峰で日本百名山石鎚山(標高1982m)。

お城も天気もすばらしく、海の眺めも山の眺めも楽しめて、一石二鳥だった♪
このあと東雲口登城道を下山した後、次は東へ3kmほど歩いて霊場へ。

つづく

醤油発祥の地・湯浅の古い町並み

新型コロナウイルスの件で報道されてる有田郡湯浅町は、和歌山県中西部の醤油発祥の町で、今も残る古い町並みは重伝建に指定されており、6年前に散策したことがある。

岡正酒店(左)と麹屋の津浦家(右)。

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津浦家は江戸時代後期開業・明治時代築で、中は資料館になってる。
電柱が邪魔ですが、ステキな壁、ステキな屋根、ステキな窓、ステキな町並み♪

と明治建築に感動してたら、同じ通りにもっと古い江戸建築が。

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江戸時代後期の民家を改装し、現在は茶屋いっぷくという茶店になってる。

金山寺味噌を製造販売されてる、太田久助吟製さん。

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こちらの建物も江戸時代後期築、レトロな赤ポストがよく似合う*^^*

醤油醸造家の角長さん。

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天保12年(1841年)創業、慶応2年(1866年)築、めっちゃ古っ!!

細い小路沿いの甚風呂。

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江戸時代後期から昭和の終わりまで営業してたお風呂屋さん。

醤油醸造家だった木下家。

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推定建築年代は江戸時代後期、今は普通に人が住んでる。

大仙堀沿いの風景。

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醤油の原材料や商品が積み下ろしされた内港で、醤油蔵が建ち並ぶ。